東京高等学校長式辞

東京高等学校長 鈴木 徹

 本日は、東京高等学校の創立150周年の、また東京実業高等学校の創立100周年の記念式典にあたり、多くのご来賓の皆様のご臨席を頂き、感謝申し上げます。上野塾ゆかりの者が一堂に会して、かくも盛大に式典を挙行できますことは、この上ない光栄であり、東京高等学校を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。

 明治5年(1872年)8月、上野西黒門町での開塾が本校の源泉であります。明治5年と言えば、同じ8月には学制が公布され、新橋~横浜間に鉄道が開業するという時代でした。また、太陽暦の採用により、12月3日が突如として明治6年1月1日となった年でもあります。その後、上野塾は数度の移転をし、教育勅語が発布された明治23年(1890年)神田猿楽町に東京数学院を開校します。明治27年(1894年)には第1回の卒業式が挙行され、3名が卒業。また同年には、仙台に東京数学院宮城分院が設立され、門弟・五十嵐豊吉先生により改組発展、現在の学校法人南光学園・東北高等学校へと継承されています。明治32年(1899年)には東京中学校と改称、創立40周年に当たる1912年は明治から大正へと時代が変わりました。創立50周年にはその記念事業として東京実業学校を設置し、今日の東京実業高等学校へと発展しました。さらに、昭和9年(1934年)に現在の大田区鵜の木(当時は大森区調布嶺町)に移転をし、現在に至るわけですが、学校制度は第二次大戦を境に大きく変化しました。戦後は、昭和23年(1948年)に東京中学校に加え、新制の高等学校を併設し、その歩みを継続。昭和27年(1952年)には創立80周年のを迎え、式典・祝賀会を実施。昭和45年(1970年)には中学校を男女共学化(但し、昭和48年(1973年)に募集停止)し、翌昭和46年(1971年)には高等学校も男女共学化し、創立百年祭を挙行。以降、ほぼ10年毎に周年行事を実施しつつ、今日に至って150周年を迎えることとなりました。

 この間、130回の卒業式が挙行されて、卒業生の総数は31,963人を数えます。本日ここに集う生徒諸君には、この節目の日に、本校の長い歴史と伝統を築いてきた3万余の先輩方の努力が、有形無形の財産として本校を支えているという事実に思いをはせ、また新たな歴史を自ら作ろうとの気概を持って欲しいと思います。

 21世紀になり、すでに20年以上が経過しましたが、世界には新たな課題が次々と発生しています。世界のどこかで平和が乱されれば、離れていても無関係ではいられない、という当たり前のことを再認識しなければいけない時代です。明治草創期に新しい日本を担う若者を育てることを目標にスタートした上野塾は、多様化する世界の中で、課題を解決できる人間に育てることを、これからも継続していかなければなりません。

 また、インターネットの進化に象徴される科学技術の進展は急速であり、このsociety(ソサエティ)4.0=「情報社会」から、次のまだ見ぬsociety(ソサエティ)5.0へ、というように、社会そのものの在りようが、大きく、ドラスティクに変わろうとしています。当然、社会が変化すれば学校の在りようもそれに合わせて変わらざるを得ません。教職員及び生徒一同も、このことを深く認識し、更なる本校の発展に尽力していくことを、肝に銘じたいと思います。

 最後になりますが、本日ご臨席賜りましたご来賓の皆様、また、今回の記念事業に尽力していただいた同窓会・親師会、甲子会の皆様に、改めて深く感謝の意を表するとともに、ますます進化し変貌していく本校に、今後とも変わらぬご支援・ご協力をお願いいたしまして、式辞といたします。